Gohst

あけMAX。今年もよろしく~・・・って遅いか。新年一発目から真っ青な長文だよ。

先日、PDCAのPの人達とCする軽い分科会みたいなので、
より良い、新しいものを作るとか、ニーズに応えるとか、そんな話を聞く機会があった。

でも共有化して並列化して画一化が加速している商品(ある意味人材)やサービスにとって、
シーズとかニーズというのは、必要だし、それがきっかけにもなるけど、
数年以上続くような、持続可能な条件としては足りないのでは?と。

入れ替わるTVアイドルにしても、ある意味人生における人間関係にしても、
それが良いか、悪いか、適切かは、
その「現在」に蔓延した、支配していた思想や環境によるもので、
それが変われば、まるで嘘のように消えていく。

じゃ消えないものってなにか。
それは、そもそも消えないもの、確かなもの、に依存するんだろうと。
そんなものあるのか、と思ったけど、それは「我思う故に我あり」で、
個々人にとってのDNAのような、攻殻で言うならゴーストの一部になるようなものだろうかと。

小さい頃から食べていたものはずっと求め続けるだとか、
一部のブランド品が、物でも流行のステータスでもなく、その人の一部になって、
それが消えないものになっていく。

そう思うと、製品やサービス、それこそ労働力を提供しようとしたとき、
それが良いものか、適切なものかは最もながらも、もしかするとそれ以上に、
提供対象の生活サイクルだとかDNAに刻み込んでいくような、
そういった仕掛けが 、今後画一化していく社会での競争力になるのかしらと。
グローバル化もさることながら、そこでのラストワンマイルを詰められなければ取って替わられてしまうじゃまいかと。
会社組織にゴーストがあるかは別として、有能無能とは別に、存続に必要なDNAを引き継げる人材が 求められていくのかとか。
あでもトップが変われば人材も変わるから、会社にゴーストはないか。しかしそんな会社は、人々に刻み込まれにくいので、いつか消え行くかとか。

等々思ったけど、それも、50年とか100年単位で考えると違うのかな。
例えば皇室は、昔とべればかなり存在が薄くなっているし…あでも、それは思想教育をしなかったからか。
影響を与えやすいもの、例えばサグラダファミリアは世代を超えたものだし、世界遺産は地球の記憶とか言ってた気がするし。
いや別に、そんな先のことはどうでもいいんだけど、個々の創造性が共有化や並列化の波に飲み込まれていく社会で、
私達は消えないものに意識を向けるべきなんでは・・・ともんもんと考えた。
あーだめだ全然オチつけられない。しかし読み返すと至極当然のことのようにも思う。

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rise or fall

攻殻機動隊のriseの歌詞をちゃんと読んだことがなかったので、ロシア語部分も含めて読んでみた。やはりストーリーとマッチした内容でなかなか良かった。

そんで"Your fire will be heating thousands of hearts(ロシア語訳)"という部分で、先日見たエルピーダの社長の「お前のカラオケやゴルフの腕があがって喜ぶ人はたかがしれてるが、この半導体の機能や価格が良くなって喜ぶ人は世界中にいる」的な言葉を思い出した。
つまり遊ぶ時間は惜しんで仕事しろやってことなんだけど、カリスマ社長からそんなこと言われたらたぶん働いちゃうんだろう。プロ意識と呼ぶ奴隷化だ。

ただ最近社会人になって感じるのは、ON/OFFが面倒だということ。この2重人格化は、今まで素直に生きてきた自分には少し難しい。仕事は仕事である以上そのルールや上司に従わなければならない。自我やエスを超自我でラップしなければならないわけで、そのラップをかぶせるたびにストレスが生じる。ラップが少なくて済む職場ならいいが、多い職場なら、いっそ自我やエスまでも超自我にシンクロさせ、ラップを不必要にさせてしまおうということになるんだろうか…それがつまり奴隷化だ。
自分の好きな仕事が一番というが、どちらが先にせよエスや自我がシンクロ状態にあることは奴隷になっているに他ならない。

riseの歌詞には"time to make the sacrifice we rise or fall"というのもあり、対訳は「その身を捧げるのは今」だけで
rise or fallは含まれていない。身を捧げることがriseなのかfallなのか。それは意識だけの違いなんだろう。
"Remember, everything is in your hands(ロシア語訳)"と思えば、奴隷化するのは世界であり仕事だ。
世の中は奴隷化される人とされない人であり、世界を変えたい人と関わりたくない人という属性があり、大部分はその中間に存在し、その両端を憧れや卑屈な目で見ているんだろう。

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我々の間には

チームプレイなどという都合のいい言い訳は存在せん。
あるとすれば、スタンドプレーから生じるチームワークだけだ。

なんてStand Alone Complexな台詞が、今日の研修中あたまに浮かんだ。

所謂就活でよくあるGWをやったんだけど、大体就活中は課題を解けずにモヤっとしたまま終わるのが
常だったから、今日は初めて解けてしかも1位だったので、少しGWってのを考えてみた。

そんで、GWのメンバーってのはさして信頼関係も気づけてない希薄なネットワーク組織だ。
そしてリーダーになったやつが、実際リーダーたるかも不明のまま活動を開始する。
こんな組織じゃスタンドプレーの積み重ねが結果に繋がるとしか考えられない。
つまりGWの良し悪しは純粋にメンバーの能力によるってことだ。ま、当然っちゃ当然だけど。

互いを良く知り合わないうちに巧くスタンドプレーを生かされるためには、メンバーの能力が分散性やら
独立性に富んでいなければいけない。同じ思考の人間だけじゃ穴におちてしまう。
そしてこの条件は、偶然に委ねられる。
そう考えると、偶然に起因する結果に苦手意識を覚えていた自分がバカだなと思った。

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