存在への勇気付け

今日も蒸し暑い中ぼやーっと会社に戻ってきたとき、突然腕を掴まれました、私です。

皆さんお盆前、いかがお過ごしでしょうか。
その掴んだのは1年ほど前に仕事が一緒だった人で、びっくりしましたが、なんだか嬉しかったです。
正直ある程度付き合いのなくなった人や、今付き合いがあっても苦手な人だと、
相手が気がつかなければ自分はスルーするので、
わざわざ掴まえてくれたってことはそうでない、と勝手に思ってニヤニヤしてました。
思い出すと、その人関連のチームとの飲み会が結構楽しかったし、なんだろうな、と思ってみたら、
そういえばそのチームで自分は相当役立たず(ミーティングではよく居眠りこいてたし)で
能力はさっぱり認められていないのに、何故かよく親しくしてくれました。
存在意義がなさそうなのに存在を認めてくれている、存在自体への勇気付けが心地よかったのかな、と。
これはよく子供の教育で、叱りすぎず褒めすぎず、「いてくれるだけでいいんだよ」と
わからせる行為に近いのかな、と思いました。ってことは、今の自分、子供並に弱ってるのかもしれませんが、
まぁそういうのは何歳なってもうれしいということで。
勿論、自分より能力がないので優越感に浸れるだとか、そういう理由が相手にあるとは思います。
ただ自分の中の絶対評価で、別に大したことができなかったりやらなかったりしてもいいんだ、という実感、
頭でわかって落ち着いた気分になっていても、そういうのをしっかり実感できることって
思っている以上に重要なんだな、とぼやーっと感じた出来事でした。

くさるのは簡単

なんかこういうの読んで、うんうんそうなんだよーと思えるようになってしまった。
→http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080409/1207702690
たぶんこれからしばらくご一緒するパートナーさんが小市民派っぽいので、なんとか腐らせないために明日お客さんに交渉せねば…とか、逆に「あ、今この人私を腐らせないようにしてるなー」とか、よく感じられる。

こういう話を自分はすぐにSMで考えるのがすきで、やっぱり世の中加害者Sか被害者Mなんだなーと。
自分の人生に対してSであるかMであるか、どっちにしたって気持ちければそれでいーじゃんと思うものの、
自分の人生にMタイプは仕事上では扱いにくいことこの上ないなーと、明日も会うであろう人を思いおこして思う。

乗り越えた

少々不本意な配属内示後、未知への不安や妄想で、精神的にどこかすっきりしない日々が続いていた。
けども、やっとすっきりした気がする。

何が効果的だったかというと、とりあえず不満を外に出しまくったこと、本当にもう飽きるぐらいに、例えば憂さ晴らし飲み会とかで。
あとは実家への帰省が良かった。
まぁ非常にありきたりな方法ながら、そんなありきたりな方法でクリアできてしまった。

憂さ晴らし飲み会は、とりあえずうっぷんたまってそうな人を誘って、憂さやら毒やら出しまくった。
「他人の不幸を聞いて安心する」と言うと了見狭そうな考えだけど、「みんな色々抱えてる、自分だけもがいてるわけじゃない」ということをダイレクトに感じられたことで、なかなか壊せなかった殻が崩れた気がした。
夜景を前に「あの光の1つ1つに幸不幸があると思うと、さらに美しく、愛おしく見えて落ち着く」って台詞はどこで聞いたか。心境はそんなかんじだった。

後者は、急遽実家に帰った結果なのだけど、
やはり帰る家がある、というのは非常に良いもので、なんというか、アイデンティティを取り戻すことができた。
作るべき家の価値とは、きっとこういうものなのだと思う。

今、自分の手に確たる手段や予見があるわけではない。ただ確かにあるのは、あのすっきりしない状態から抜け出すことができたという事実。その事実が、この先また不安になっても、なんとか乗り越えられるという自信に繋がる。
こんなの本当に大したことないけど、こういった社会と自分の葛藤は永遠と続くわけで、こんなささいなステップがこれからの永遠の未知を明るく照らしてくれるようで、なんだか今は、とても充足感が広がっている。

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自覚しているかどうか、それが問題だ。

妄想家はSEに向いてると聞いたのは就活中だったかなぁ。
これが意味するのは、想像力が形が見えにくいシステムの実現に向いているということなのなかな~と思ったけど、
それも違うよな、と思う。

現在一般的に言われる「妄想」は、元来の「現実把握機能の低下による幻覚じみた症状」ではなく、「意識的短期的なストレス解消や快楽や逃避の手法」で、空想と似たようなものだと思う。
ポイントは自分の妄想を意識できているかどうか。前の記事で触れた奴隷化にしても、自覚しているかどうかは大きい。

現実把握機能が低下している人は、いわゆる空気の読めていない人と言える。すると、自覚症状のある妄想家は、空気を把握しながらもあえて勘違いを想像していることになる。それは現状課題を把握しながらゼロベースで思考できるともいえると思えば、確かにSE向きなのかもしれない。

ただ本当に現実を把握している人は、妄想なんてできないんだろうとも思う。
ある程度現実を把握し、妄想に浸る余裕を欲する人、それが自称妄想家の正体なのかもしれない。

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